第1回奨励賞受賞論文
グルタミン酸/D-セリン系と精神疾患


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上里 彰仁

東京医科歯科大学大学院 精神行動医科学分野

1.はじめに

  D-セリンは、細菌・真菌、カイコ・ミミズなどの無脊椎動物の組織に含まれていることは知られていたが(1)、哺乳類の組織には恒常的に存在しないと考えられていた。しかし1990年代初頭、西川らが統合失調症の研究を進める過程で、遊離D-セリンが他の神経伝達物質と比較し得るほどの高濃度で恒常的にラット脳に存在することを発見し、その定説を覆した(2, 3)
   グルタミン酸は、ドパミン、セロトニン、GABA、アセチルコリンなどと並び、中枢神経において重要な役割をもつ神経伝達物質であるが、D-セリンはNMDA(N-methyl-D-aspartate)型グルタミン酸受容体のグリシン結合部位に作用して受容体機能を促進する選択的アゴニストであるため、グルタミン酸/D-セリン系の異常が精神神経疾患の病態と関連している可能性があり、現在までに多くの基礎・臨床薬理学的研究や臨床研究が行われてきた。そこで本稿では、統合失調症および双極性障害の病態とD-セリンの関連を概説し、臨床応用への可能性を探る。

2.D-セリンと統合失調症

2.1.統合失調症とは
  D-セリンと統合失調症の分子生物学的な関連を論じるためには、統合失調症の臨床症状を説明しておく必要がある。統合失調症は人種や地域に関わらず人口の約0.8%に発症し、社会の一員としての正常な機能を脅かす重大な精神疾患である。ほとんどが思春期から20代にかけて発症するため、脳神経の発達異常との関連が示唆される。また、双生児の一方が発症した場合、もう一方が発症するリスクは一卵性で約50%、二卵性で約15%であるため、遺伝的要因が関連していると考えられている。
 統合失調症では精神機能の統合が失調することにより多彩な精神症状を呈するが、これらは大きく陽性症状・陰性症状・認知機能障害に分類される。陽性症状は、正常な精神機能では存在しないものが出現するという意味で、幻覚や妄想、統制を欠いた行動や興奮を示す。一方陰性症状は、正常な精神機能から減弱・脱落するという意味で、意欲減退、感情鈍麻、会話・思考内容の貧困化、引きこもりなどを示す。さらに認知機能障害は、記憶・注意・判断力の低下を始め、抽象化能力・実行機能障害など、高次な精神機能の障害を示す。

2.2.統合失調症とドパミン仮説
  統合失調症の薬物療法は、麻酔薬としてのクロルプロマジンの薬理作用が報告された1950年代まで遡る。クロルプロマジンが精神病の錯乱や幻覚を改善することがわかり、抗精神病薬としての使用が示唆された。その後、抗精神病薬が脳内のドパミン代謝産物を増加させることがわかり、これは抗精神病薬が後シナプスのドパミン受容体を遮断することにより、ドパミン代謝が代償性に亢進する結果であると推測された。さらに、多くの抗精神病薬が共通してドパミン受容体の阻害作用を持つことが確認され、また臨床薬理学的研究やドパミン作動薬を用いた動物実験により、統合失調症においてはドパミン神経伝達が過剰となっていると仮定するドパミン仮説が提唱されるに至った(4)
 メタンフェタミンやコカインは、前シナプスのドパミントランスポーターに作用し、シナプス間隙へのドパミン放出を促進するため間接的ドパミン作動薬と呼ばれるが、その乱用は幻覚や妄想などの症状を誘発する。またドパミン神経伝達を改善する目的で投与される抗パーキンソン病薬は、幻覚・妄想の副作用を引き起こすことがある。強力なドパミンD2受容体遮断作用をもつ抗精神病薬はこれらの症状を改善する。 一方、ドパミンD2受容体遮断薬は、統合失調症の幻覚や妄想には効果があるが、陰性症状や認知機能障害には効果不十分である。これらの事実から、統合失調症におけるドパミン過剰は、幻覚や妄想などの陽性症状に関連があることが示唆される。それでは他の症状、すなわち陰性症状や認知機能障害はどうであろうか。

2.3.統合失調症とグルタミン酸仮説
   抗精神病薬により陽性症状がよく治療された後でも、陰性症状や認知機能障害が残存することは、統合失調症患者の社会復帰に大きな障壁となる。
 フェンサイクリジン(phencyclidine, PCP)は、陽性症状・陰性症状・認知機能障害を包括的に誘発する薬物である。1958年に麻酔薬として開発されたPCPはその精神症状の副作用により臨床応用が断念された。しかし1970年代の米国では「Angel Dust」などの呼び名で乱用されるようになり、陽性症状・陰性症状・認知機能障害を呈するため、統合失調症患者が急増したと一時誤認されるほどであった。その後、PCPがNMDA型グルタミン酸受容体(NMDA受容体)のイオンチャネル内にある特異的結合部位に作用して、グルタミン酸伝達を非競合的に阻害することがわかり、PCPのNMDA受容体遮断作用が精神症状の形成に関与している可能性が推測された。すなわち、統合失調症患者の脳内において何らかの理由によりグルタミン酸伝達が障害されているとする考え方がグルタミン酸仮説である。
 グルタミン酸仮説は、次に挙げるような臨床研究により支持される。Kimらは統合失調症患者の脳脊髄液中グルタミン酸が低下していることを見出した(5)。西川らは、統合失調症患者死後脳においてグルタミン酸伝達系の検討を行い、カイニン酸型グルタミン酸受容体の結合能が前頭前野で増加していることを明らかにし、これがグルタミン酸伝達の低下に対する代償的変化である可能性を指摘した(6)。この所見はDeakinらにより追認された。この視点と一致して、MRSを用いて脳内におけるグルタミンやグルタミン酸を測定した研究では、未治療の統合失調症患者の内側前頭前野で有意な増加が認められ、代償性変化の推察を裏付けた。またこの変化は治療中の患者には見られず、抗精神病薬により正常化している可能性が示唆された(7)
  現在ではPCPが臨床的に使用されることはないが、同じくNMDA受容体遮断作用のあるケタミンは麻酔薬として使用されている。Krystalらは健常者にケタミンを投与し、幻覚・妄想をはじめ、感情鈍麻や思考障害など幅広い統合失調症様症状が誘発されることを確認した(8)。またLahtiらは症状の安定している統合失調症患者にケタミンを負荷することにより精神症状が増悪し、しかもそれはそれぞれの患者が急性増悪時に体験した症状と酷似していることを報告した(9)
統合失調症におけるグルタミン酸伝達の障害が、NMDA受容体を細胞膜上に維持する足場タンパクの異常に起因する可能性が示唆されている。Nawaらのグループは、NMDA受容体やalpha-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazolepropionic acid (AMPA)受容体などの足場タンパクの一つであるSynapse-associated protein 97 (SAP97)が統合失調症死後脳前頭部で低下していることを報告した(10)。更に筆者らは患者血液のDNAを用いたSNP解析により、独立したコホートでSAP97遺伝子と統合失調症との関連を検出した(11)

2.4.D-セリンと統合失調症
 統合失調症におけるNMDA受容体機能不全をもたらすメカニズムの一つとして、本受容体のグリシン調節部位にコ・アゴニストとして選択的に作用するD-セリンのシグナル異常が考えられている。D-セリンはNMDA受容体と酷似した脳内分布を示し、前脳部組織においてD-セリンを選択的に除去するとNMDA受容体機能が低下することから、少なくとも前脳部ではD-セリンがNMDA受容体を介するシナプス伝達に中心的な役割を果たすと考えられている(3)。統合失調症死後脳の大脳皮質においてNMDA受容体グリシン調節部位の増加が検出され、グルタミン酸/D-セリン系機能低下に対する代償的変化である可能性が考えられている。またChumakovらが同定した遺伝子G72は、D-セリン分解能をもつD-アミノ酸酸化酵素(D-amino acid oxidase; DAAO)を活性化する分子をコードするが、この遺伝子が統合失調症と関連することが示された(12)。DAAOの発現増加や、D-セリン合成能をもつセリンラセマーゼの発現減少の報告もあるが、研究者間で一致した結果ではなく今後の検討が待たれる。

2.5.D-セリンと統合失調症の新規治療薬
   詳細は他著(13)に譲るが、ドパミン仮説とグルタミン酸仮説は互いに矛盾するものではない。むしろ、陽性症状を説明するドパミン仮説を、陽性症状・陰性症状・認知機能障害を包括的に説明するグルタミン酸仮説が内包すると考えられている。グルタミン酸仮説に基づいて、統合失調症患者の社会適応を阻む陰性症状・認知機能障害に対する新規治療法が模索されている。
 NMDA受容体グリシン調節部位に作用し受容体機能を促進するアロステリック作動薬は、動物実験により抗PCP作用が認められている。統合失調症患者に対して抗精神病薬に併用してグリシンが投与され、陰性症状に対して効果が認められたとする報告が1988年になされた(14)。1998年にはD-セリンの陽性症状・陰性症状・認知機能障害に対する効果が報告された(15)。しかしこれらの薬剤は脳内移行性が低いため高用量を要し、また腎毒性を持つ可能性が問題となった。これに対し、D-サイクロセリンは細胞壁ペプチドグリカン生合成阻害作用を持ち、抗結核薬として40年以上使用されてきており、安全性に関する臨床データが蓄積されている。現在我々の研究室では、統合失調症患者に対し、抗結核薬として用いる500mg/日の10分の1である50mg/日のD-サイクロセリンを抗精神病薬と併用し、効果を検証する臨床研究を行っている。一方、外部からのD-セリンやD-サイクロセリンの投与により治療効果を期待するより、脳内在性アミノ酸であるD-セリンやグリシンを調節する薬剤の開発の方が、NMDA受容体グリシン調節部位を刺激する長期的な治療戦略としてはるかに合理性を持つという考え方がある。近年では、sarcosineを始めとするグリア細胞に発現するグリシントランスポーター1 (GlyT-1)阻害薬の統合失調症に対する効果が報告され始めている(16)

3.D-セリンと双極性障害

3.1.双極性障害とは
  双極性障害、いわゆる躁うつ病は、統合失調症と並ぶ重大な精神疾患である。統計手法によって報告にばらつきがあるが、20代から30代で発症することが多く、人口の1%前後が罹患すると言われている。また統合失調症のように遺伝的要因が関連していると考えられている。双極性障害の患者は精神的エネルギーが亢進したかのような、気分高揚・過活動・多弁・浪費・睡眠欲求の減少、などの躁状態と、その逆の抑うつ気分・意欲減退・集中力低下・希死念慮、などのうつ状態を交代して繰り返す。躁状態、うつ状態とも患者にもたらす社会的損失は大きい。
 双極性障害の重度の躁病相で幻覚・妄想を呈したり、逆に統合失調症の経過中に躁うつ症状を呈したりすることがあるため、これらの病態には一部共通性があると考えられている。近年では次に述べるように、双極性障害におけるグルタミン酸神経伝達の異常が注目されている。

3.2.グルタミン酸/D-セリン系と双極性障害
  機能的MRIを用いた研究では、急性躁病患者の前頭前野におけるグルタミン酸・グルタミンレベルの増加が観察されている(17)。また海馬のNMDA受容体の減少を見出した死後脳研究や、NMDA受容体サブユニットの遺伝的関連を示した研究など、双極性障害におけるグルタミン酸伝達異常を示唆する所見が蓄積されつつある(18, 19)。さらにケタミンが双極性障害のうつ症状に対して効果を示したという臨床研究が報告されている(20)
 興味深いことに、前述のように統合失調症との遺伝的関連が見出されたD-アミノ酸酸化酵素遺伝子G72が、双極性障害とも関連があることが示され(21)、双極性障害の病態におけるD-セリンの関わりが予測される。我々の研究室では、アフリカツメガエル卵母細胞発現系を利用し、ラット新皮質cDNAライブラリから細胞内D-セリンの蓄積を抑制する遺伝子を同定し、dsm-1 (D-serine modulator 1)と名付けた(22)。Dsm-1はヒトPAPST1(3’-phosphoadenosine 5’-phosphosulfate transporter 1)遺伝子の相同遺伝子であるが、我々はPAPST1について双極性障害との遺伝的関連および死後脳における発現変化を見出した(未発表)。PAPST1は細胞内D-セリンの蓄積を抑制するほかに、リン酸化の基質であるPAPSを輸送する。PAPSは還元されPAPとなるが、代表的な双極性障害の治療薬であるリチウムはPAP phosphataseを抑制することが知られており、双極性障害におけるリン酸化過程と病態や治療との関連が推察される。

4.おわりに

  本稿では、精神科領域の代表的な疾患である統合失調症と双極性障害について、その病態とグルタミン酸/D-セリン系の関わりを述べてきた。両疾患ともその病態理解は十分進んでいるとはいえず、現存する治療薬の効果も満足ではない。精神疾患におけるグルタミン酸/D-セリン系の更なる解明は、今後これらの疾患を克服する有望な治療法につながる可能性を秘めている。

文献

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上里 彰仁(うえざと あきひと)氏
略 歴
1992-1996 東京大学工学部
1996-2002 東京医科歯科大学医学部・医師資格
2002-2003 沖縄米国海軍病院インターン
2003-2004 東京医科歯科大学精神科研修医
2004-2008 米国アラバマ大学精神科レジデント・米国医師資格
2008-2009 東京医科歯科大学精神科医学博士
2009-現在 東京医科歯科大学大学院精神行動医科学分野・助教
                米国アラバマ大学精神科臨床助教

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