甲殻類における遊離型D-アミノ酸の生理機能
吉川 尚子
古くから、水生無脊椎動物には遊離型のD-アミノ酸が存在することが知られている。1970年代後半に頭足類であるタコやイカの脳神経系にD-アスパラギン酸が存在することが明らかにされ(1,2)、その後様々な甲殻類や二枚貝において数種の遊離型D-アミノ酸が諸組織中に見いだされている。特に、水生無脊椎動物に広く存在しているのはD-アラニンであり、甲殻類の全ての組織に存在することが明らかにされている(3)。また、二枚貝においても、ハマグリやアサリといった異歯亜綱に属する種では諸組織中に多量のD-アラニンが存在しており、ミルクイの外套筋や水管では全アラニンに占めるD体の割合は80%を上回っている(4)。一方、翼形亜綱に属するホタテガイ、マガキおよびアカガイにおいてはD-アラニンはほとんど見られず(4)、ムラサキイガイやアカガイではD-アスパラギン酸含量が高いことが報告されている(5,6)。 このように、様々な水生無脊椎動物で遊離型のD-アミノ酸が存在することが明らかにされているが、特に甲殻類や二枚貝に存在するD-アラニン含量は、哺乳類等他の動物で検出されているD-アミノ酸含量と比較すると極めて高い値を示している。海洋という特殊な環境に生息する海洋生物は、陸上生物にはみられない代謝系を発展させていることが知られているため、D-アミノ酸の生理機能も、他の動物とは大きく異なることが予想される。筆者はこれまで甲殻類であるエビに存在するD-アラニンの蓄積メカニズムおよび生理機能について検討を行ってきた。そこで本稿では、甲殻類に存在する遊離型D-アミノ酸の生理機能について概説する。
3.1.D-アラニンの起源
様々な水生無脊椎動物に広く存在しているD-アミノ酸の起源としては、海水からの取り込み(9)、鰓の共生細菌由来(10)などが考えられてきた。前者は、海水中には化学的ラセミ化によって生じたD-アミノ酸が多量に含まれているため、二枚貝は水管を通してこのD-アミノ酸を取り込んでいるという説であるが、海水にD-アラニンを添加して飼育すると、D-アラニンは鰓には多量に取り込まれ、中腸腺や血リンパにおいてもわずかに増加が認められるが、筋肉には取り込まれないことが報告されている(4)。一方、ヤマトシジミにおいてアラニンラセマーゼ活性が見出されたことから(11)、D-アラニンは水生無脊椎動物の生体内で生合成されていることが明らかとなり、ウシエビの筋肉(12)や肝膵臓(13)、アメリカザリガニの筋肉(14)およびヤマトシジミの外套筋(15)においてアラニンラセマーゼの精製が試みられた。
3.2.ウシエビ筋肉におけるアラニンラセマーゼの諸性質
筆者は、ウシエビ筋肉を用いてアラニンラセマーゼの単離精製を行い、その諸性質について検討を行った(16)。単離酵素の分子質量は、SDS-PAGEでは44kDaを示し、ゲルろ過クロマトグラフィーでは90kDaを示したため、ホモダイマーであると考えられ、細菌類で報告されているアラニンラセマーゼと類似した分子構造であることが予想されたが、ザリガニやヤマトシジミで報告されているものとは異なっていた。また、ピリドキサル5’-リン酸 (PLP)要求性酵素の阻害剤として知られるヒドロキシルアミン等により酵素活性が著しく阻害されたことなどから、細菌類のアラニンラセマーゼと同様にPLP要求性であることが示唆された。
また、ウシエビのアラニンラセマーゼのKm値およびVmax値は、LからD、DからLの両方向ともに高い値を示していたが、LからD方向の活性の方がやや高く、平衡定数は0.84であった。
さらに、この単離酵素を用いてアラニンラセマーゼの部分アミノ酸配列を決定し、その配列をもとにクルマエビ筋肉および肝膵臓からアラニンラセマーゼのcDNAクローニングを行い、動物組織から初めてアラニンラセマーゼをコードする遺伝子を同定することに成功した(17)。これにより、クルマエビやウシエビに存在するD-アラニンは、内在性のアラニンラセマーゼによって生体内で生合成されていることが明らかとなった。
クルマエビアラニンラセマーゼの演繹アミノ酸配列と細菌類のアラニンラセマーゼのアミノ酸同一率は30%を下回っていたものの、細菌類のアラニンラセマーゼの活性部位であるリシン残基、チロシン残基および触媒反応に関与すると考えられている残基は保存されており、クルマエビのアラニンラセマーゼは進化の過程で細菌から保存されたものであることが示唆された。
4.1.D-アラニンの生理機能
甲殻類では高塩濃度海水順応によりD-, L-アラニン含量が増加することが知られている(18,19)。水生無脊椎動物は開放血管系であるため、血リンパの浸透圧と無機イオン組成は環境水とほぼ同じである。したがって、環境水の塩濃度に応じて血リンパの浸透圧も変動するが、高浸透環境下では無機イオンの流入によって血リンパの浸透圧が上昇すると、細胞が委縮してしまうため、細胞内では遊離アミノ酸やベタイン類、トリメチルアミンオキシドなどの低分子化合物の濃度を上昇させて浸透圧を高め、血リンパの浸透圧に対抗して細胞内浸透圧を上昇させている。アメリカザリガニを淡水から段階的に全海水までに順応させると、筋肉におけるアミノ酸総量は2倍以上に増加し、特にグリシン、L-プロリン、L-グルタミンおよびD-, L-アラニンの顕著な増加が認められるため、D-アラニンも細胞内等浸透圧調節のオスモライトであると考えられている(18)。 また、産卵降河回遊を行うモクズガニは、浸透調節能力が高いことが知られているが、筋肉および肝膵臓においてD-, L-アラニンはグリシンに次いで主要なオスモライトとして利用されていることが明らかにされている(19)。 クルマエビにおいても、100%海水から150%海水に順応させると心臓や肝膵臓で遊離アミノ酸の増加が認められ、D-アラニン含量は心臓ではおよそ2倍、肝膵臓では4倍に増加していた。また、高塩濃度海水順応過程におけるクルマエビ肝膵臓のアラニンラセマーゼ活性を経時的に測定したところ、DからL、LからDの両方向ともに10時間後に顕著な活性の上昇が認められ、48時間後にやや活性の低下が見られた(未発表)。したがって、環境水の塩濃度の上昇に応答して、アラニンラセマーゼが活性化されたものと考えられた。さらに、同条件下でアラニンラセマーゼのmRNAの発現レベルについても測定したところ、酵素活性と同様に10時間後に発現量がおよそ5倍に増加していたため、高浸透環境下におけるアラニンラセマーゼ活性の上昇は、アラニンラセマーゼの発現量の増加によるものであり、これによりD-アラニン含量の顕著な増加が認められたものと考えられた。 また、クルマエビでは脱皮直後の筋肉においてアラニンラセマーゼ活性の上昇が見られたが、D-アラニン含量の変動は見られなかった(8)。したがって、D-アラニンは脱皮にともなって生成されていたとしても、直ちに生理活性ペプチドなど他の物質に変換されて利用されている可能性も示唆された。
4.2.D-グルタミン酸の生理機能
クルマエビのオスの生殖腺では、L-グルタミン酸を上回る量のD-グルタミン酸が存在することが明らかとなり、D-グルタミン酸がクルマエビの生殖機能に関与していることが示唆された。クルマエビでは、交尾の際にオスの精包がメスの生殖補助器に渡され、メスは産卵するまで生殖補助器の貯精嚢に精包を保持し、産卵時にこの精包を同時に海水中に放出することで受精が行われる。メスの生殖腺にはD-グルタミン酸は検出されないが、交尾が行われる生殖補助器ではD-グルタミン酸が検出される個体が見られたため(未発表)、これはオス由来の精包によるD-グルタミン酸が検出されたものと考えられた。現在、オスの生殖腺におけるD-グルタミン酸の生合成経路および生理機能についてさらに検討を行っているところである。
水生生物には、陸上生物には見られない様々な特徴ある成分が存在している。水生無脊椎動物に存在する遊離型D-アミノ酸も、哺乳類等と比較すると存在量はきわめて高く、その生理機能は特殊な生態に大きく関わっていることが予想される。その生理機能の1つとして環境水の塩濃度の変化に適応するために、D-アラニンを効率よく利用していることは確かであるが、甲殻類の全ての組織に存在しているD-アラニンの機能は果たしてそれだけであるのか興味が持たれる。ウシエビやクルマエビに存在するアラニンラセマーゼは、細菌類のアラニンラセマーゼと類似した分子構造をもち、同様の触媒反応を行っていると考えられるため、生物進化の過程で細菌から保存されたものであると考えられるが、細菌類のアラニンラセマーゼは細胞壁のペプチドグリカンの構成成分を生合成するという明確な機能がある一方で、なぜ一部の下等動物にアラニンラセマーゼ遺伝子が保存されているのかについては、謎に包まれたままである。さらに、クルマエビにおいては、他のD-アミノ酸の分布には組織特異性があることから、それぞれのD-アミノ酸を巧みに使い分けているように思われる。今後、これらの生物が、なぜD-アミノ酸をその特殊な代謝系に取り入れたのか、どのように利用してきたのか、さらに解明していきたい。
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吉川 尚子 (よしか なおこ)氏
略 歴
2000-2003 東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了 博士(農学)
2003-2004 東京大学医科学研究所研究機関研究員
2004-2005 独立行政法人国立健康栄養研究所特別研究員
2005-2007 東京大学大学院農学生命科学研究科特任助手
2007-2009 埼玉医科大学ゲノム医学研究センター リサーチフェロー
2009-現在 静岡理工科大学理工学部 講師