アミノ酸はタンパク質、DNAなどと共に根元的に生命を担う重要な化合物であります。長らく、生体を構成するアミノ酸はほとんどがL体であり、 D-アミノ酸は細菌ペプチドグリカンの構成成分など極めて限られた生体成分と考えられてきました。しかしここ十数年、分析技術の進展に伴い、微生物、植物を始め、哺乳動物にも様々なD-アミノ酸が存在し、多様な生理機能を果たしていることが明らかになりました。
例えば、遊離D-セリンは哺乳動物の脳にあって、記憶、学習といった脳の高次機能に関わるNMDAレセプターのコアゴニストとして働いています。 最近、脳内D-セリンの動態と統合失調症やアルツハイマー病との関連が報告され、統合失調症に対するD-セリン類縁化合物の臨床応用も検討され始めました。遊離D-アスパラギン酸にも、メラトニンの分泌抑制、プロラクチン分泌の活性化や、テストステロン合成の促進作用などが報告されております。同じく哺乳動物脳内に高濃度に存在する遊離D-アラニンの役割は現在のところ不分明ですが、水性甲殻類などではD-アラニンがオスモライトとして機能することが知られています。また節足動物の変態時にD-アミノ酸濃度が一過的に上昇することなどから、D-アミノ酸と分化・成長との関係も注目されています。一方、タンパク質中のD-アミノ酸については、水晶体α-クリスタリンのアスパラギン酸残基の加齢に伴う異性化と白内障との関連、脳内アミロイドのアスパラギン酸、セリン残基の異性化とアルツハイマー病との関連が注目されています。また、両生類の生理活性ペプチドやクモ毒にはD-アミノ酸残基が存在し、その活性発現に 重要な役割を果たしています。植物、特に食品中に存在するD-アミノ酸の機能、代謝や栄養面についても研究は緒についたばかりです。微生物に見いだされている様々なD-アミノ酸に関する基礎応用両面の総合的研究も進展しつつあります。D-アミノ酸含有化合物の多くがそれぞれ特異な生理活性をもつ点にも強い関心が寄せられています。
このように、D-アミノ酸は生命現象の様々な局面において重要な生理機能を有することが明らかとなって来ました。しかし、その代謝や生理作用の分子レベルでの研究はやっと緒についたばかりであり、D-アミノ酸の研究には今後のさらなる進展が期待されています。一方、D-アミノ酸の研究者は、分析化学をはじめ、酵素学、細胞生物学から食品、医薬まで、極めて幅広い分野で活動しており、そのため研究者相互の連絡や共通の討議の場を持ちにくい状況にありました。
このような流れに鑑み、D-アミノ酸に関心をもつ研究者が一堂に会し、意見・情報を交換し、D-アミノ酸に関連する研究を多面的にかつ包括的、恒久的に進めるため、2004年にD-アミノ酸研究会を発足させました。2013年には日本学術会議協力団体に認定され、名称をD-アミノ酸学会と改めました。発足時より、現在まで、毎年、年に1度の学術講演会を開催しております。本学会では、既成の学問領域や、企業や大学などの所属機関の枠にとらわれることなく、自由な雰囲気の中で熱意に満ちた発表と活発な議論が行われております。2009年と2014年には日本でD-アミノ酸研究国際会議を主催し、そこでは多くの外国人研究者を交えて、最新の成果に関する発表と実り多い議論が行われ、国際的な交流を培いました。また、その成果をモノグラフや専門雑誌の特集号として出版し、D-アミノ酸研究の発展に大いに貢献したと自負しております。2017年にはイタリアで、第3回の国際会議が予定されております。また、本学会では若い研究者が数多く活躍されており、2012年より、優れたD-アミノ酸研究を展開されている若手研究者に対してD-アミノ酸学会奨励賞を毎年、授与しております。さらに、2015年からD-アミノ酸研究に携わる企業の研究者、技術者とアカデミアの研究者との交流を深める目的で、ワークショップも開始しました。
D-アミノ酸研究は、日本人研究者がグローバルに活躍している領域であり、「D-アミノ酸」を冠した学会は世界的に見ても本学会が唯一の学会です。今後、国内外を問わず、異分野の学会とも協力して本学会を発展させ、その成果を工業、農業(食品)、医療など多方面に還元したいと考えております。皆様にはぜひ、このユニークなD-アミノ酸学会にご入会頂き、ともにD-アミノ酸研究を活発に推進していただければと願っております。
2016年5月
D-アミノ酸学会運営委員会